思春期の頃に聞こえていた、あの不思議な言語。
私は長い間、その正体が分からないまま大人になりました。
お寺に生まれ育ち、幼い頃からたくさんの祈りに触れてきましたが、
まだ、愛そのものである自分で生きていた私は、
愛から離れた人が、愛に戻る為に無心に祈る気持ちが分かりませんでした。
だから一度、全部忘れてみよう、と思ったのを思い出しました。
孤独や焦り、不足感や人との比較。
自分は誰からも選ばれないという、完全な他人軸。
一度そこにはまってしまうと、戻り方が分からなくなりました。
外側を埋めようとすればするほど、
本来の自分とのコントラストは、さらに強まっていきました。
消えて無くなってしまいたい気持ちと、
それでも幸せに生きてみたいという想い。
その二つが交互にやってきては、
自分を責め、自分を貶めました。
でも、その中でも絶対になくならなかった想いがありました。
誰かや何かを慈しむ気持ちだけは、
どんな時も私の中心にありました。
外側に軸がずれたまま大人になった私は、幸せになろうと必死でした。
いつも、頑張っても上手くいく自信がありませんでした。
だから、人より頑張らないと幸せになれないと思っていました。
苦労しないと認めてもらえない。
ありのままでは愛してもらえない。
そんな風に生きていました。
そしてある時、
「もしかしたら、自分で幸せを願っていないのかもしれない。幸せが近づいてくる度に自分で壊そうとしてきたのではないか。」
と気付きました。
同時に、
「本当の私を、どこかに置いてきてしまったのではないか」
そんな想いも湧いてきました。
その頃から、不思議な導きが再び始まりました。
昔よく響いてきた、物事の流れやタイミングを教えてくれる低い声。
何度も浮かんでくる「宇宙」というキーワード。
先人たちが残した言葉や、本、昔から唱えてきたお経の中にヒントを探したり、
様々な情報にアンテナを張りました。
その中で出会ったのが、
フクチーヌ先生や、あまね理樺さんの動画でした。
動画の中で聞こえてきた言語に、
私は思わず息をのみました。
そこには、子どもの頃から聞いていた、
あの響きがあったのです。
それは、
「ライトランゲージ」
と呼ばれていました。
点と点が、一本の線として繋がった瞬間でした。
そして私は初めて、
子どもの頃から感じていたことや、
自分自身を否定しなくてもいいのかもしれないと思えたのでした。
あの日から、
私は自分自身を思い出し始めました。
あの時聞こえていた言葉は、
一体何を伝えようとしていたのか。
そのお話は、また次の記事でお話ししたいと思います。🌿🐉✨